ヘッドライン

アルター「雁淵ひかり」発売、予約開始!

四式重爆撃機「飛龍」に搭載予定だった「ハ214ル」エンヂンが航空審査部ゆかりの各務ヶ原で展示されるぞ! 

1: まとめくすな名無しさん 2016/09/10(土) 15:31:09.44 _USER9

no title

スミソニアン航空宇宙博物館から借り受けるエンジン=県提供

 2018年に新装オープンする「かかみがはら航空宇宙科学博物館」(岐阜県
各務原市)に、米国のスミソニアン航空宇宙博物館が所蔵する、旧日本陸軍
航空隊の四式重爆撃機「飛龍」の改良型などに搭載予定だったエンジンの
実物が展示されることになった。
 生産数は少なく、貴重な資料だという。

 訪米中の古田肇知事と、各務原市の浅野健司市長が6日(現地時間)、
同博物館を訪れて3者による協定を締結し、無償で借り受けることで合意した。

 エンジンは、三菱重工業が製造した「ハ214ル」。1939年に作られた「ハ42」
が原型で、出力は2300馬力。それまで米国でしか実用化されていなかった
最先端技術「ターボチャージャー」を導入して、性能を向上させた。当時の
日本の最先端技術を集めたエンジンだったが、太平洋戦争末期に実用化
されたことから、生産はごく少数にとどまったとみられるという。川崎航空機
(現・川崎重工業)が生産していた飛龍の改良型に搭載される予定だったが、
試作機を作った段階で終戦を迎えている。

 県航空宇宙産業課は、「調べた範囲では、国内には残っていない。生産数も
少なく貴重」とし、「新装オープンに展示が間に合うよう調整していきたい」
としている。

 協定締結後、古田知事は、「展示物の貸借などの分野で、協力関係を構築
していきたい」、浅野市長は「かかみがはら航空宇宙科学博物館を、世界に
誇る博物館にしていきたい」と話し、スミソニアンのジョン・R・デイリー館長も
「互いに良い関係を築いていきたい」と話した。(増実健一)
2016年09月10日 07時36分 YOL

http://www.yomiuri.co.jp/national/20160909-OYT1T50050.html



   
 
 
[ 2016/09/12] 軍事 | コメント(14)

零戦が再び日本の空を舞う!今月27日に鹿屋航空基地の上空で飛行するぞ 

1: まとめくすな名無しさん 2016/01/20(水) 20:54:50.36 ID:CAP_USER*.net

零式艦上戦闘機(零戦)が今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛ぶ。機体を所有するニュージーランド在住の日本人と、防衛省などの調整が終わったことが20日、わかった。日本の空を零戦が舞うのは、戦後初めてで、関係者は「日本の繁栄を築いた先人の勤勉さと技術革新に、思いをはせるきっかけにしてほしい」と語った。

◆飛行予定日は27日、周囲から見学を

 飛行予定日は27日で、28、29を予備日としている。基地内への立ち入りは禁止だが、周辺で飛ぶ様子を見ることはできる。パイロットに、零戦の飛行免許を持つ米国人を招く。

 機体は、ニュージーランドを拠点に、フライトジャケットの製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(54)が所有する。

 現在、飛行可能な零戦は世界中に6機ある。所有者のうち日本人は、石塚氏だけという。平成22年5月、国内で零戦を飛ばす「零戦里帰りプロジェクト」を設立した。

◆トラブルから夢実現へ

プロジェクトのきっかけは、トラブルだった。

 19年半ば、石塚氏のもとを、北海道小樽市の関係者を名乗る男性が訪れた。博物館で展示するために、零戦を入手したいが、その交渉を手伝ってほしいという依頼だった。

 石塚氏は、米国の飛行機収集家やパイロットに人脈があった。石塚氏は仲介を引き受けた。

 零戦を保有する米カリフォルニア州の有名バイクレーサーと売買契約を結んだ。彼が所有する機体は、パプアニューギニア・ラバウル近郊に放置されていた零戦22型で、米国人が1970年代に入手し、飛べるように復元していた。

 だが、契約後にリーマン・ショック(2008年9月)が発生した。男性が持ち掛けた零戦展示構想は、景気悪化のあおりを受けて、中止になったという。

 売買を取りやめれば、米国人レーサーから億単位の違約金を求められる。石塚氏は訴訟も考えたが、相談した弁護士に「零戦を生かす方法を考えた方が、自分の人生のためではないか」と諭された。

 石塚氏はもともと、飛行する零戦を日本人に見てもらいたいと夢を抱いていた。「それなら、日本で零戦を飛ばそう」。腹をくくった。

 3億5千万円かけて零戦を購入した。ニュージーランド・クライストチャーチにある牧場や自宅、車などを売り、借金もした。

 購入から4年半が経過した平成26年9月、機体が横浜港に到着した。駐機先は、隊員の研修用機材にすることを条件に、鹿児島県の鹿屋航空基地に決まった。

 鹿屋市までの輸送費などとして、インターネット経由で寄付金約2340万円を集めた。昨年7月初旬にエンジンテストも終え、いざ公開飛行を待つだけになった。

続きはソースでご確認ください

http://www.sankei.com/west/news/160120/wst1601200101-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/160120/wst1601200101-n2.html
http://www.sankei.com/west/news/160120/wst1601200101-n3.html
http://www.sankei.com/west/news/160120/wst1601200101-n4.html

no title


no title


no title



   
 
 
[ 2016/01/21] 軍事 | コメント(10)

【画像あり】 にわかだけど、第二次大戦頃の米軍機を紹介していくよ! 

5: まとめくすな名無しさん 2015/11/13(金)23:20:35 ID:Ymn


no title

P-26 ピーシューター
 ボーイングが開発した米陸軍初の単葉機
 初飛行は1932年で、開戦前からとうの昔に旧式化。

 フィリピンに少数が配備されていて、
 開戦当初の「ゼロ戦・隼が米軍機を圧倒!」のやられ役になった。

 中国に輸出されたP-26も日中戦争では結構活躍して、
 焦った日本軍はなぜかアメリカのP-35を急遽輸入したりしてる。



   
 
 
[ 2016/01/17] 軍事 | コメント(9)

航空自衛隊が女も戦闘機パイロットに登用する事を決定! 

1: まとめくすな名無しさん 2015/11/11(水) 07:58:50.71 ID:lHQdOkfY0.net

防衛省は、男女共同参画を推進する一環として、自衛隊でも女性の登用を拡大する必要があるとして、体への負担が大きいなどの理由からこれまで見送ってきた、戦闘機のパイロットへの女性自衛官の配置に踏み切る方針を固めました。
防衛省は自衛隊機のパイロットとして、輸送機や哨戒機などには女性自衛官を配置していますが、F15やF4といった戦闘機については、高速での飛行中にかかる重力による体への負担が大きいことや、
出産などで長期間休職した場合に任務に当たることができる期間が限られるなどの理由から、配置を見送ってきました。

ただ、防衛省は、安倍内閣が成長戦略に「女性の活躍」を掲げて、女性の登用の拡大に積極的に取り組んでいることを踏まえ、男女共同参画を推進する一環として、戦闘機のパイロットへの女性自衛官の配置に踏み切る方針を固め、今週中にも正式に決定することになりました。
この決定に伴い、訓練などを経て、3年後をめどに自衛隊で初めて女性の戦闘機パイロットが誕生することになります。

防衛省の担当者は、「アメリカ軍などではすでに女性の戦闘機パイロットの登用が進んでおり、今後も女性自衛官の活躍に向けた施策を講じていきたい」と話しています。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151111/k10010301371000.html
※ ソース内動画有り



   
 
 
[ 2015/11/12] 軍事 | コメント(8)

元軍人のひいおじいちゃんの履歴書を入手したので詳しい人教えてください 

1: 名無しで叶える物語 2015/11/08(日)14:16:39 ID:PpL


no title

金剛とか翔鶴とか龍驤とかは艦これやってるからわかるんだが、724空とか筑波空ってどんなところだったの?あと海軍少尉ってどれだけ偉いの?



   
 
 
[ 2015/11/09] 軍事 | コメント(9)

【軍事】 ファントム無頼 百里と言えばF4ファントム 東京急行を出迎えて45年 

1: ストマッククロー(catv?)@\(^o^)/ 2015/11/05(木) 11:50:04.65 ID:QZQvQaJM0.net

日本の空を守り続けて45年 “空のベテラン”F4ファントム 近づく引退も魂は継承

夕日に照らされて自衛隊百里基地(茨城県小美玉市)にF4戦闘機が戻ってきた。F15、F2とともに
日本の戦闘機三本柱の一角を担うF4EJ改、通称「ファントム」。1971(昭和46)年の配備から今年で45年、
いまなお現役で日本の空を見守り続ける“空のベテラン”だ。

F4は1958年(昭和33年)に米国で開発された艦上戦闘機で全長19・2メートル、超音速のマッハ2・2
(時速2000キロ以上)での飛行が可能だ。ベトナム戦争では米軍の主力戦闘機として前線に送られ、
湾岸戦争後の1990年代半ばに退役した。日本では百里基地と新田原(にゅうたばる)基地(宮崎県新富町)の
2カ所に実戦配備され、現在も国籍不明機に対応する緊急発進(スクランブル)を行い、防空任務にあたっている。

戦闘機としては異例の5000機以上が製造され、世界各国で航空ファンなどにも愛された名機だが、その多くが
既に退役した。実動するファントムをひと目見ようと、基地周辺には海外から訪れる航空ファンもいるほど。

日本でも2017(平成29)年度から次期主力戦闘機F35(第5世代戦闘機)に切り替えが決まり、勇退は近いと
される。電子装備などが充実したF15、F2が第4世代に分類されるのに対し、F4は改良型第3世代機に分類
されている。

以下長文略

http://www.sankei.com/politics/news/151105/plt1511050007-n1.html

no title



   
 
 
[ 2015/11/07] 軍事 | コメント(6)

【画像】 特攻で散った九九式襲撃機のシルエットに泣いた… 

1: 足4の字固め(北海道)@\(^o^)/ 2015/10/26(月) 22:01:03.43 ID:FoBKLZHl0.net

no title



   
 
 
[ 2015/10/30] 軍事 | コメント(12)

【歴史】 戦艦大和、「時代遅れの産物」はデタラメ! 驚異の高性能ゆえにたどった数奇な運命  

1: オムコシ ★ 2015/10/19(月) 16:52:45.66 ID:???.net

2015/10/19(月)6:01 Business Journal

no title
 
ロマンを感じる戦艦の筆頭として、今も数多くのファンから熱い支持を得ている「大和」。
艦名に「武蔵」や「長門」と同じく旧国名(地方名)が用いられているだけでなく、日本の旧国号にも重なることから、別格の存在感が漂う。

 主砲は世界最大の46センチ砲で、速力はこの規模の戦艦では驚異といえる27ノットを誇った。当時の日本が持っていた技術力、
知識、資源の結晶ともいえるスペックである。

 大和といえば、第二次世界大戦時に特攻のために沖縄に出撃したものの、目的地に到達する前にアメリカ軍に捕捉され、
執拗な攻撃を受けて撃沈されたという悲壮な最期も有名だ。戦場で活躍したという話がほとんどないため、
「“虎の子”として温存しすぎた」といわれ、「無駄な建造物」の上位にランクインすることもある。

 しかし、本来の設計思想を鑑みると、大和は温存されすぎていたわけではない。
大和は、日本近海での最終決戦を想定してつくられたものだからだ。

 当時の海軍は、真珠湾攻撃の成功後、ろくに補給基地もない太平洋を西へ西へと攻めてくるアメリカ軍を日本本土側におびき寄せる漸減撃退作戦を構想していた。
決められた地点で待ち伏せして攻撃しては撤退し、補給もままならない状態で進軍を続けるアメリカ軍がヘトヘトになったところで、自分たちの庭で一挙に撃滅するという作戦だ。

 全滅させるのは無理でも、「多大な被害を与えて撤退させることができれば、時間稼ぎになる」という計算もあった。

 その最終決戦に登場するのが、前代未聞の超大型戦艦・大和である。
長大な射程圏を生かし、疲弊したアメリカ軍を一方的に攻撃する作戦だったため、気軽に出撃させてダメージを受けることは避けたかったはずだ。
結果として大和は、その通信設備などを活用して司令部としての機能を担うことが多かった。

 しかし、大和が外洋に旗艦として出撃することができたのは、資源に乏しい日本軍が、兵器に万能性を求めていたという事情もあるだろう。
元来、船舶は用途に応じた設計が必要となる。例えば、航行するのが外洋か内洋かでは、重視するべきポイントやつくり方が異なる。

 大和は近海決戦用の迎撃兵器なので、波による船体の傾きを復元する能力や、波に対する抵抗力などは低いはずだ。
これらは、外洋航行の際に強化すべきポイントだからである。
実際、イギリスの戦艦などは北海やバルト海、地中海といった内海での航行を想定しているため、波への抵抗力は高くない。

 しかし、大和はこうした能力について外洋型戦艦並みであり、
浮力を左右する(洋上での船体の安定性に関係する)乾舷の高さは、長門の1.5倍を誇っていた。

●時代遅れではなかった大和

 大和は超巨大な船体にもかかわらず小回りが利き、全速力の27ノットで航行中に「回れ右」をする際も、
必要な移動距離は640メートルと短いものだった。さらに、船体が傾く角度は9度という安定性だ。
全長の3倍以下の移動距離で、ほとんど船体を揺らすことなく180度旋回することができたわけで、自動車でのUターンなどを思い浮かべれば、そのすごさがわかるだろう。

 大和は、これほどの高性能を有していたことで、日本の戦力が低下する中、武蔵と共に本来の目的外の部分で重宝されていたわけだ。

 大和には「航空機が主流となりつつある時代に建造された、時代遅れの産物」という評価もあるが、これも結果論的な視点だ。
大和が建造された当時は、航空機は潜在能力こそ認められていたものの、「海戦の主役はあくまでも戦艦」という考えが主流だった。
アメリカも同時期に次世代の超大型戦艦を構想しており、日本および大和は、決して時代の波に乗り遅れていたわけではないのだ。
(文=熊谷充晃/歴史探究家)


http://biz-journal.jp/2015/10/post_11994.html



   
 
 
[ 2015/10/24] 軍事 | コメント(9)

日本陸軍が試作した世界最大級の150トン戦車の設計図発見&再現! 

1: トラースキック(大阪府)@\(^o^)/ 2015/10/23(金) 11:15:33.32 ID:zNUB8y9q0.net

日本陸軍が戦時下、極秘に試作した世界最大級の「150トン戦車」の設計図が見つかった。
当時の作業日誌からは、物資の欠乏で鋼板が手に入らず工程が大幅に遅れるなど、戦況悪化で生産体制は危機的状況だったことがわかる。

 1941年4月、旧陸軍が三菱重工に発注し、試作1号の車両部分が42年4月に初めて試運転された。
機密保持のため「ミト車」(三菱重工)、「オイ車」(陸軍側)の名称のみが知られ、これまで詳しい形状や仕様は不明だった。

 図面や仕様書、試作車の報告書や作業日誌が近年、古書市場に出た。
軍用車両の研究家で知られる精密模型メーカー「ファインモールド」(愛知県豊橋市)社長の鈴木邦宏さん(57)が入手し、復元模型づくりを進めている。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151023-00000026-asahi-soci



   
 
 
[ 2015/10/23] 軍事 | コメント(6)

【航空機】 スクラップ置き場でコンコルドの先端部品を拾った結果wwwww 

1: ドラゴンスクリュー(四国地方)@\(^o^)/ 2015/10/11(日) 22:39:33.02 ID:s7THVanR0.net

民間対空監視員のポール・フィリップス氏は40年前、スクラップ置き場を
偶然通ったときに奇妙な形をした‘何か’を見つけました。
それは過去の超音速旅客機、コンコルドの先端部分でした。
彼はそれをケンブリッジ近くにあるダックスフォード航空博物館に預けていましたが、
1000時間の補間の後、ポールの元へ返されました。
ある、ヘリコプターの操縦士がもし売ってくれるなら250,000ポンド(約4600万円)、
購入したいと申し出ているそうです。


no title

http://www.lovepeace.top/archives/45166805.html



   
 
 
[ 2015/10/12] 軍事 | コメント(2)
このブログについて



管理人:もこもこキャット

髪の化身

【このブログについて】
【twitterで更新情報掲載中】

カウンター
サイト内検索
過去記事ランダム表示
アクセスランキング